梅、桜樹の多い参道を通って、鐘樓門を入ると正
面が本堂、左に大師堂、右に蘇鉄の植込みが盛り上
り、庫裡、信徒会館、弘法大師一代記堂とつらなり、
ゆったりとした感じがする。
寺は行基菩薩によって開かれ、御本尊の薬師如来
も刻まれたという。又弘法大師も止錫され、霊地に
定められたと伝えられる。本堂から寛文5年の棟札
が出てきた。当寺は南北朝時代に島を支配した佐々木
信胤の因縁が深く「飽浦左衛門尉祈願所」の記録が
ある。佐々木信胤は小豆島戦国ロマンの主人公。元
備前飽浦の領主。細川定禅に仕えて戦功をたてたが、
突如南朝に走る。歴応二年、当時京洛三美人の随一
といわれたお才の局をともなって来島し海抜八百米
の山頂に星ヶ城を築いて小豆島全島を手中におさめ、
その後九年あまり島を支配する。しかし貞和3年北
朝の細川師氏が来攻し約一ヶ月の間にわたって星ヶ
城を中心に合戦を展開するが、降伏してしまった。
信胤すなわち飽浦三郎左ヱ門とお才の局の情話など
は「大平記」に記されている。
大師一代記堂では、弘法大師の生涯を立体的に展
示している。書物や法話などで知るよりは実感があ
り、天才的な大師の宗教的な生き方が理解出来る。
お堂前の桜は、2月中旬よりほころび始め、一足
早い春を告げる風物詩として、テレビ、新聞に報道
され全国的にも有名となった。
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