おざき ほうさい
尾崎放哉

尾崎放哉句碑(尾崎放哉記念館内)
明治18年、鳥取県に生まれる。東大を卒業後、生命保険会社に勤務、要職に就くが、酒でしくじる。
その後、寺を転々とし、大正14年8月、小豆島南郷庵(みなんごあん)に入る。
翌年4月に病のため亡くなるが、そのわずか8ヶ月間に放哉は216の句を遺した。

句碑の碑文は、師である萩原井泉水がかいたものである。

いれるものがない両手でうける 放哉


放哉の句碑は、土庄港緑地公園にもある。これは、放哉が小豆島に降り立った時に初めて作った句と言われ、平成5年、「放哉」南郷庵友の会会員ら放哉を慕う人たちによって建立された。

目の前魚がとんで見せる 島の夕陽に来て居る 放哉


尾崎放哉記念館
南郷庵跡地には現在、当時の庵が復元され、尾崎放哉記念館として、写真や自筆の手紙、短冊など貴重な資料が展示されています。

「放哉」南郷庵友の会ホームページ
「放哉」南郷庵友の会によるホームページで尾崎放哉の詳細なプロフィールや尾崎放哉記念館のことが詳しく記されています。





















壺井 栄

生田 春月

黒島 伝治

壺井 繁治

尾崎 放哉

萩原 井泉水

句碑の森


小豆島・4つの物語へ戻ります。